こんにちは。フタガワです。
最近、休職した後の人生について考えているのですが、独立や移住することを躊躇してしまう自分がいます。
そんな中、勇気をもらった言葉があるのでご紹介します。
背中を押してくれる言葉
「私が私であるために私以外必要じゃない」
これは手帳に書いていた言葉で、かつて友人が私に言ったものです。
彼女は3年前に独立して、今も頑張って自分の事業を続けています。
自分が何をやりたいか、社会にどんな変化を起こしたいかを明確に持ち、コツコツと自分の道を築いています。
そんな彼女の言った言葉。
手帳に書いたその言葉は、私に勇気をくれ、そして背中を押してくれている気がします。
「他人の目を気にする」という呪縛
ただ、自分のやりたいことがボンヤリとあっても、それが世の「普通」とは離れていると躊躇してしまうもの。
それについて理由を考えてみました。
留学で出会った人たちは皆自由だった。
学生時代にNYにしばらくいたのですが、そこで出会った人たちは自由に人生をデザインしていました。
結婚して子どもがいるけどフォトグラファーになろうとするカナダ人の女性、映画監督になるためにNYの大学を受験しようとしている韓国人の学生、シェアハウスに住みパートタイムの仕事をしながら気ままに旅をしまくっているイタリア人の男性。
日本にいたら少数派であろう彼らは、自分の人生を語る時にとても生き生きとしていて、「俺の人生俺が生ききったる」という気概に溢れていました。
帰国するといつの間にか常識にがんじがらめになる。
日本とは異なる文化、人に触れて私は「自分の人生なんだから何でも自由にやっていいんだ」と、楽になったのを覚えています。
ですが帰国して1年ほど経つと、いつの間にか日本の「普通」に合わせている自分がいました。
人間は良くも悪くも場所や人に染まるもの。
私も生まれた時から日本で育ってきた日本人です。
その呪縛は強く、海外で刺激を受けても、日々の生活の中で典型的な日本人に戻っていきました。
日本人の呪縛
日本人の特徴というか、呪縛は3つあると思います。
呪縛①他人の言うことに左右される
いちいち人の言うことに耳を傾けます。
自分で「こうやりたい」「こうなりたい」があっても、他人から否定的な言葉を言われてば自信をなくし、くじけてしまいます。
呪縛②他人の目を気にする
とにかく他人の目を気にします。
人からどう思われるか、どう見られるか、どう見えるか、どう聞こえるか、とにかく気にします(私も)。
それに息苦しさを覚えている人も多いはず。
息苦しいけど、止められません。
日本で育ってきて、日本の文化が身に染み付いているから。
日本人の呪縛③体裁・肩書きを気にする
「日本人は看板を背負って生きている」
そう言っても過言ではないでしょう。
「●●大卒」という看板だったり、「△△に勤めている」という看板、年収■■万という看板。
そして看板の見栄えを争うんです。
看板を背負っている本人ではなく、看板の見栄えです。
普通じゃないのは悪いこと?
生まれてからこれまで、「普通は」という言葉を何度聞いたことでしょう。
「普通はこうでしょ」
「普通はそんなことしない」
「普通じゃない」
そう言っている時の人の顔は必ず険しくて、まるで普通でないのは悪いことのようです。
出る杭にならない努力をする。
そのために嫌なこともする。
つまり自分の人生を犠牲にしてまで、普通でいようとします。
ですが本当は、「自分の人生を生きないこと」の方が、自分に対して誠実ではない、つまり悪いことではないでしょうか?
自分の人生を自由に生きる
正しさは見る方向の数だけ存在するので、ここで「正しいことはコレです」とは言えません。
ですが、自分に誠実であることは言えます。
人生に限って言えば、「自分で自分の人生を生きること」「自分の人生を自分でデザインすること」です。
「私が私であるために私以外必要じゃない」
「普通」から離れても、自分で人生の舵を握って方向を決め、航海していく。
行き先を決めるのは自分であり、舵を握るのも自分。
年老いて死ぬ直前、「もっと好き勝手に生きればよかった」と後悔しても、他人は責任を取ってくれないのですから。
この言葉が私のみでなく、皆さんの背中を押してくれることを願っています。
読んでくださり、ありがとうございました。