子どもの頃、母や兄が貝殻(大きめの巻貝でした)に耳をあてて、「海の音が聞こえる」と言ったので、ワクワクしながら貝を耳につけました。
シューーーーーー
でも、空気が通るような音しか聞こえませんでした。
100歩譲って風の音だとしても、
ヒュゥオオオオ……
こういう感じでした。
そんな寒風吹きすさぶ海は、私の故郷、香川にはありません。
瀬戸内の穏やかな海しか知りません。
日本海や太平洋にはあるのかもしれませんが、なぜ香川で拾った貝から日本海の音が聞こえるのか。
しかし「海の音なんてしない」とは言えなかった私は、「海の音がする」と嬉しそうに言う母と兄を見ながら、「自分だけ聞こえないのか」とガッカリしていました。
雰囲気に流されて本当のことを言えない日本
今なら幼い自分に言えます。
「聞こえないなら聞こえないでいいんだよ」と。
これ、ちょっと貝殻のエピドードをふざけて書いてしまいましたが、結構いろんなことに当てはまると思っています。
島国根性なのか村根性なのか、「空気を読む」ことが社会に出るための必須スキルとされ、貝殻から海の音が聞こえなくても聞こえるふりをしなければいけない日本。
イラッとしていても、全然同意していなくても、面白さがわからなくても、なんだかよくわからなくても、なんなら聞こえていなくても、相槌を打てるのがいっぱしの大人です。
これまでは「そういうもん」と割り切っていましたが、でも、そういう風に生きてきて、だいぶ疲れているのも感じます。
「そういう風に言われるのは良い気持ちはしないからやめてほしい」
とか、
「言ってることはわかるけど、賛成はできない」
とか、
「ちょっと面白さがわからんわ」
とか、
「言ってることがわからん」
とか、
「すみません、聞こえません」
とか、
もう少し遠慮なく言えたら、ストレス減るんじゃないの? と思ってしまいます。
最近、自分に正直になることは大事、ということを痛感しています。
自分の感覚を大事にせずに、むしろ無視してしまったり、雑に扱ってしまって、結果、消耗する、というスパイラルにはまっていました。
世の中の「常識(っぽいもの)」に流されて、内側にいる自分が声を上げられていなかった、というか。
そもそも、正しさは時代で変わりますよね。
戦時中の常識(国のために死ぬことは良いこと、など)は今では間違っていた、とされていますし。
「いまの世で正しいとされているもの」が、未来においては「間違っていた」ことは往々にしてあります。
では、何が正しいのか。
自分の感覚が一番正しい
なぜか自分の外に「正解」があるような気がしていて、それを見つけて、それに従って生きることが良いことと思って、生きてきましたが、違うなと感じています。
自分にとっては「自分の感覚」が正解なはずです。
感覚は「嫌ダー!」って言ってるのに、世の中の「べき論」に流されて、「こうしなきゃ、ああしなきゃ」で動いていると疲れますよね。
・年収は高い方がよい
とか
・勤めている会社は有名な方がよい
とか、
そんな風な基準がどこかにあって、会社を選ぶ時にそういう基準をどこかで気にしてしまっていたり。
私の場合も多々あって、この半年ほど、自分に必要なのはソレなんだろうか、と、考えたところ、最近、「どうやらソレは違うぞ」となりました。
私の感覚では、
・時間に余裕がある方が嬉しい
・自分で納得できる仕事をする方が嬉しい(誰得なんだろう? と思ってしまう業務も多々ありましたので)
という基準の方が、今のところ正しいです。
毒親との関係を綴ったコミックエッセイ、『母がしんどい』でも、自分が間違っていると思い続けてきた主人公が、「いろんな正しさがあっていい、自分は正しい」と知ることで、解放されていく様が描かれています。
世の中に正しさが一つしかない、と考えると自分も他人も追い詰めるし、息苦しいだけです。
軸を作るには
とはいえ、自分の感覚にだけ従っていては怠惰な人間になるのでは? と思う方もいると思います(私はそうです)。
石の上にも三年、と言いますし、今は「嫌だ」と思っていても、続けていれば良い結果につながるかもしれない、と。
感覚を大事にしすぎて、嫌だと思うことをすべて絶っていたら、どこにも辿り着けないのではないか、と思って不安になってしまいます。
そう考えると行動の軸みたいなものがあると良いのかもしれません。
・人に親切にする
とか、
・嘘をつかない
とか、
・他人を陥れない
とか、
・自分だけが得をする道は選ばない
とか。
選択する時の軸というか。
判断する時に、自分の中の世間のイメージで判断しようとするから何かがおかしくなるのであって、今後も変わらないであろう道徳的な根本原則のみを軸にすればいいんです。
そういう根本原則は、自分の感覚に聞いてみても「嫌だな」とはならないですし。
きっと人間はそういう風にできているんだと思います。
善行を積めば、満たされた気持ちになります。
正義を貫けば、誇らしい気持ちになりますよね。
六波羅蜜(ろっぱらみつ)が使えるかも
とはいえ、「道徳的な軸っていっても、どうやってピックアップすればいいの?」と思った時は、昔からあるパッケージ化されたものを使ってみましょう。
仏教の六波羅蜜です。
六波羅蜜(ろくはらみつ)とは、昔、お釈迦様が善行を6つにまとめたもので、仏教の求道者が修行のために行うとされています。
◆布施(ふせ)
他人に財物などを施したり、相手の利益になるよう教えを説くことなど、贈与、与えることを指す。
◆持戒(じかい)
戒律を持つことです。仏教では五戒などがありますが、生活に落とし込むのには「自分のルールを守る」と捉えるのが良いかと。つまりは有言実行ですね。
◆忍辱(にんにく)
苦しさ、辛さ、悲しさなどを耐え忍ぶことです。
◆精進(しょうじん)
不断の努力のこと。短い人生を無駄にすることなく、やり尽くすことです。
◆禅定(ぜんじょう)
冷静に第三者の立場で自分自身を見つめることをいいます。
◆智慧(ちえ)
一切の現象や、現象の背後にある道理を見きわめる心の作用を意味します。
人間は怒りや愚痴によって、智慧を曇らせてしまいがち。愚痴の心に惑わされることなく、迷いを断ち、見極めることです。
六波羅蜜を難しく感じたら、もっと単純化して、
・他人のためになることをする
・自分のためになることをする
・真実を見極める
という形で考えるとわかりやすいかもしれません。
道徳って小学生の時にだけ勉強しますけど、言語化しようとすると難しいですよね。
本当は一生学んだ方がいいと思うんですけど。
まずは自分の感覚に意識を向けることから
とはいえ、今すでに「外の基準」で動いてしまっているのにいきなり六波羅蜜で動きましょう、なんて無理だと思いますので、まずは自分の感覚に気づくことから始めるのが良いと思います。
嫌なことは、嫌。
楽しいことは、楽しい。
満たされたり、誇らしい気持ちになることも、やりたい。
そこに気づいて、丁寧に紐解いて、整理して、もう一度、組み直せば、
もっと、人生、ラクに、楽しくなると思います。