男性をつかむ大きな手

双極性障害の生き方

こんにちは。フタガワです。
双極性障害発病12年になります。
最初は色々と悩んでいましたが、最近、思っていたよりずっと楽に生きられそうだと気付きました。

「双極性障害って結局こういうことなんじゃないか」
「こう生きるとよりハッピーに生きられるんじゃないか」

その気づきを記しておきたいと思います。

一生治らない=性格である

双極性障害当事者の方は、こんなセリフを医者に言われてショックを受けませんでしたか?

「双極性障害は一生治りません」

私はショックでした。
3年くらいグレてました。

ですが、その後、本を読んだりして情報を集めながら自分の生活を工夫していくにつれて、「躁鬱は、病気というか性格」という感覚が強くなってきました。

そもそも、子どもの頃から何かに熱中しすぎる傾向はありましたし、反対に、飽きてしばらく本を読んだりして過ごす、というのもありました。
そういう性格なんだと思っていました。

当事者の人は薄々感づいていると思いますが、「熱しやすく冷めやすい」「器用貧乏」など、これって双極性障害の人のことかな? と思う日本語表現があるように、躁鬱的な人は昔からいたようです。

双極性障害=生存戦略である。

南の方に多い双極性障害

双極性障害って、南の方が傷病率が多いそうです。

なぜなんでしょう?

昔、中島らもさんが毎日新聞で連載していた『日本の悩み相談室』に書いていたのですが、悩み投稿の傾向として、南の人間の方が比較的ふざけていて、北の方は真面目な投稿が多い、というのがあるそうです。

これを読んだ時、「なるほど」と思いました。
南、つまり気候が温暖な地域では、食べ物が豊富ですし、暖いですから、外でぼーっとしていても死にません。
ですが、北の地方は食べ物は冬に向けてしっかり備蓄しなければいけませんし、うっかりしていると凍死するわけです。

こんな地域の特性を考えると、南の人はふざけていて、北が真面目、と言われても違和感はありません。
気候・環境で性格に傾向が発生するのは自然なことでしょう。

私の地元は香川なのですが、香川の外に出ていろんな県の人と話してみると、「香川県民はテキトー性が高い」という風に感じました。

何においても「まあ、ええんちゃう」という姿勢が根底にあるように思います。

沖縄には負けると思いますが。

私が岡山県民に感じている「ゆるさ」も、同様の気候的原因があるように思います。

「ひとつのことに固執しない」「過集中と休み」の生存戦略

同じように、双極性障害を性格と捉えると、南の方に「ひとつのことだけをできない人」が多いのもうなずける気がします。

もちろん「ひとつのことを続ける」特性も必要なのですが、南だと割合的に「いろんなことを試しながら過集中と休みを繰り返す」特性もいた方が、人類としては存続可能性が高まりそうですよね。なんとなく。

例え話ですが、私の考える躁鬱人の役割はこんな感じです。

A地区でミカンがなっていて、皆が美味しく食べています。
噂を聞きつけて他の地区の人々もA地区に集まってきます。
そこで一部の人々は「この土地はミカンと相性がいい」と、ミカンの栽培を始めます。
ますますミカンが採れるようになります。
躁鬱の人々は、人が増え始めた頃から居心地の悪さを感じます。
そして躁鬱人たちは「飽きた」とか「なんか人に疲れた」とか言って、ふらっと別の地区に出かけていきます。
そしてその先で、新しい食べ物や住処を見つける人もいるし、見つけられない人もいます。
大事なのは、「出ていく人がある程度の割合でいること」です。
A地区に人が増え続ければ、やがて土地は疲弊して食べ物も減っていくでしょうから。

昔、『チーズはどこへ消えた』という本が流行りましたが、まさに、躁鬱人はチーズが消える前に理屈なしで去っていく人種。
南の人種にとって大事なのは、特定の場所でずっと作物を作り続けることではなく、いかに、楽園を移り住んでいくか、なんです。
果実を食べ尽くしてはいけません。
『チーズはどこに消えた』のように、チーズがなくなった時にその部屋にいてはいけないのです。
しかし躁鬱人は「ここはチーズがなくなりそうだから別の場所を探さなくてはならない」という風に論理的に考えるのではなく、「飽きた」とか、向こうの方がテンション上がりそう」とか、感覚的な理由で移動します。
だからもちろん、「チーズが消える前」でも全然移動するんです。勝手に。自然に。
むしろ「食べ物がなくなりそうだから」という切羽詰まった理由は、躁鬱人を窮屈にさせ、気分を不安定にさせます。

「特段の理由はないけど、あっちへフラフラ行く」

それが、そういう者がいることこそが種の保存に良い生存戦略だったんです。
「食べ物を探すため」ではなく、ランダムな理由とタイミングで散っていく、というか。

だから、その性格を矯正することはないんです。
豊かな時代ですから、今は地域に関わらず「南的」ですしね。

今の自分のままで、どう生きるか。

矯正しようとするから調子悪くなって病気みたいになる。今のままで生きる方法を考える。

自分のこの「あっちへふらふら、こっちへふらふら」性格を矯正しようとするのはしんどいです。
「これだけずっとやれ、これしかやっちゃダメ」というのは窮屈でなりません。
いろんなことを好きな時に好きなようにやりたいんです。

じゃあどうするか。

会社員で実現できるなら、会社員で良いと思います。
BtoCの事業をやっている、IT系の会社、ベンチャーは比較的「やりたいようにやれる」場所が多いように思います。
結局、私がのびのび働けていたのはそういう会社です。

ですが、そうでないならば自営業が良さそうです。
調子の悪い時に休める、というのは重要ですから。

誰とも合わずに投資だけするのもよし、ブログやYoutubeで稼ぐのもよし、生活保護を受けるのもよし。

私の場合、自分が楽しくずっとできる作業として「執筆」と「お金の計算」があったので、まずは投資とブログで生計を立てないと思っています。
ブログはまだまだ利益をあげられていませんが、書くことは全く苦痛じゃないので、一生続けるつもりです。
一生毎日なんか書いていれば何かにはなるだろう、という、ざっくりした魂胆(笑)

ひとつのことだけをしていると飽きてくるので、ギターを弾いたり絵を描いたり、も入れて、長く心地よい生活を組み上げていく所存です。

休職して5ヶ月半になりますが、かなり落ち着いてきています。
このまま退職して自分の生活を組んでいって、経過を観察したいと思います。

その記録が双極性障害の方々の参考になれば幸いです。

読んでくださり、ありがとうございました。

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